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Prologue

私の大親友が120歳まで生きると言う。私達の2倍の人生を今からまだ生きるという。
これはジョークだとして受け取るしか仕方ない。

60才まで生きるのが必死だったのに、あと60年生きようというのかい?

私の叔母は96歳、健在。伯父も90歳を過ぎるまで生きていた。晩年の彼等はとても可愛い。
認知症になってしまっているから、頭の中はさぞかしシンプルなんだろうなぁ。
7年前に叔父にあった時、従兄弟は  ”おまえのことが誰かわからないかもしれないね。”  と私をガッカリさせまいと教えてくれていたけれど、玄関に現れた私を見て、”よく来たずら” と私の名前もはっきり言った。さすがに昔、伯母に隠れてお酒を飲んだ仲である。

叔父と私の父は良く言い争いをした。
もっぱら、本家との地所の争いのことだったが。
未だに解決していないと言うのだから、呆れた話である。
叔父は死んでしまったけれど、家族の総計は私にとっては同じ。
従兄弟の一番下の子に二人目が出来ていて6歳になっていた。叔父の代わりである。
従兄の次女は晩婚だったが、子宝にすぐ恵まれた。
一番上の子は東京の方にいるので私は長い間と会っていない。3人の娘を嫁に行かせてしまっているが、一番下の子達は昔の家をリフォームして住んでいるから、御近所で、今も私の信州は賑やかである。

伯母はじーっと私を眺めているから、従兄弟の嫁が、”沙由里さんですよ。お婆ちゃん。”と教える。
”大きくなったずら。”と言ってくれる。彼女の中の私は幾つなんだろうかなぁと。
押し車で家中を自分で動く。立派なマッサージ器はダダぴろい廊下にあり、玄関の横には広い部屋とトイレがあり、伯父が死んでしまってからは、何かがあってはいけないと従兄弟が同じ部屋で寝泊まりしているとの事。
伯母の身体は驚くほどしっかりしていた。野良仕事で鍛えたせいか、腰は曲がっているが、骨格がしっかりしている。
64歳で死んだ父を抱きかかえた時と大きな差がある。90歳を越した伯父を抱きかかえた時もそう思った。
父の姉も90才を越すまで生きた。腰は90度曲がっていたが、寝たきりになってるからも10年ほど生きたんではないだろうか?
長生きの家系の筈が、私の父は64歳で死んだ。
私は今父が死の宣告をされた歳になっている。
恐らく2年の命でしょうねを言われてから、4年生きた父。あれから、28年も経つのだ。

父は死んでからも夢に出て来ていた。特に私の息子が産まれるまでは、毎晩出てきた。

”お母さん、葬式もあげたというのに、お父さんは今だに家にいて、毎日仕事に出かけていくし、どうしたらいい?”
と聞き続けて、28年、その母も亡くなって11年。どちらもわたしの夢の中では元気で生きている。
ただ生きていた時と違うのは、話しかけて来ない。父は全く話しかけて来ないのだ。
またそれがいい!私の父の性格は非常にクセのある人だったので、喋らないほうがいい。
理屈ぽくて口説い、自分が正しいと思うのは良いが思い込みすぎて人を攻撃するのは良くない。とにかく人を疲れさせる人だったと言っていい。
彼の言っている事が理に適っているか適っていないか?適っているが言い方ちゅもんもある。
人は死んでしまうと、嫌な所が消えていくと思う。
もう、その性格がいかに嫌いだったかなど、私はもう憶えてないのだ。
彼の面白かったことばかり覚えている。
良かったことだけ覚えている。
だから、夢に出てくる私の父は大変温和で可愛い人である。
母は夢の中では父と一緒に出て来ることが多い。昔のように3人で生活している。

家を片付けて空っぽにしてしまう課程は父ではなく母とのバトルだったと言っていい。
彼女と私は天敵と言っていい。母は自分の味方を作ろうとして天敵を作った。
もし私の望みが叶うなら、彼女とは次の人生で親友になりたい。
彼女の苦しみは私が一番知っているけれど、救えなかった。
ごめんなさい。






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