父の癌の宣告、そしてそれがいかに私の人生を左右するか私に考える暇もなく、現実に突入する。 今でもあの時期を私のブラックホールと呼ぶ。 30歳、私にはまだエネルギーがあったはず。 現在の歳の半分の数字。 若い頃は自分が歳を老いた時の自分を知らないから、30歳はそれなりに”老いた歳”だった。あの頃の私はプレッシャーに苛まれていた。 私の叔母や伯父は今の私の歳から更に30年生きたのだから、60歳は若いということになる。 けれど、私の父は私の歳で死んでいるのだから、私はここで私の人生を終える準備をしなくてはならない。 頭の中がはっきりしているうちに、身体が動くうちに、やらなければいけない事をやっておかないといけないし、会って話ができるときに大事なことは話しておかないという焦りがいつも頭にある。 私より 八つ上の従兄などは叔父や伯母と同じ様に、後25年から30年は生きるとすれば、 私の焦りなどわかるはずはない。64歳で父が死んでいる私にとっては、その時がいつきてもいい歳だと思わずにはいられない。 私と父は彼の最後の4年間、多くの時間を共有した。彼はほとんど家にいない人だったから、最後の4年で全ての私たちの人生の時間を埋めてくれたわけだ。 彼が病院で問題を起こすと私が全て掛け合わなくてはならなかった。 流石に父に似ているだけあって、父の云わんとするところは理解できるから、対処もできたのかもしれない。 病院との仲違いが、ついに別の病院に移るという結論になった。では推薦状を書いて頂かなくてはという時点で、確かに折り合いが悪いから移るのだから、推薦状というのもおかしい話だが必要であった。しかし私が病院側に言われたのは、 ”向こうの病院にも迷惑がかかることですから” という一言だった。 どちらが正しいかと言い争っている場合ではなく、父が掛け合うと、よりことが困難になると思われたし、私は私の意見を主張する必要があった。 ”確かに父の性格はやりにくく、こちらの先生方とは意見が異なったみたいですが、基本的にはお医者さまが彼には必要な状態です。向うの病院の先生方とはうまく行くかどうかは、こちらの病院の状態とは関係ないと思われますので、推薦状をよろしくお願いいたします。” 私は彼の娘として、流石に”迷惑”といわれると、いい気がしなかった。しかも、父の意見に...