息のあるものの人生にはそれなりの重みがあって、息をしていた時の記憶が残るとそれはまだ息をしているように思える。
物は息をもう一度する機会があればもう一度息をしたいと私に語りかける。
まだ私の記憶の中に生き続ける母の姿は編み物をしている姿。だから絶対編み物はしないと決めていたから、みんなに母の編物は貰ってもらい。少しの思い出を自分のものにした。
それでも必要以上の編針が私のところにある。使わなければ申しわけないかと、編物を始めるとちょっとの時間で終わるものでなく、次から次へと続けてしまう。しかも、焦って作ってしまおうとするから、目をとばしていたりしてやりなおさなければならなくなったりして、結局は予定以上の時間をかけている。
母は編む前にゲージを取って、計算して、絵書いて、一つのものを作り上げていた。
私はは適当に思い浮かんだ独創作品。母の作品とは比べものにならない。
生涯でセーターを編んだのは一回だけ。
21歳の時に付き合っていた彼氏が好きな彼女に編んでもらった手編みのセーターを着たいと言うから、編む事にしたのは茶色ベースで右側に生成の毛糸で積み木がのような幾何学模様の入ったもの。
創作作品だから、母に指導してもらわなければセーターにはならなかったと思う。
私の母は洋裁もしたが、ある時点で編物を自分の転職としてしまった。機械網からかぎ針、最終的には棒あみだった。
私は母が使わなくなったミシンを私のものにして縫いものが私の作品ツールのメインとなっっているが、私のご自慢のツールは筆だった。
筆なら誰に負けないと思った。
母の晩年は、その筆が彼女のチャレンジで水墨画に興味を持って練習していた。
彼女の編棒、彼女の筆、使わさせて貰います。
彼女の所持品はおそらく私の母との想い出の中の千分の1にも満たない。さようなら。
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